モーツアルトは、13歳の年の12月、
初めてのイタリア演奏旅行に出発します。
ヴェローナ→ミラノ→ボローニャとイタリア半島をくだり、
1770年3月30日、フィレンツェに入ります。
このとき、
一行が乗った馬車がくぐったのが
フィレンツェの北の玄関、サン・ガッロ門です。
ちなみに、塩野七生さんの歴史ミステリー小説
「銀色のフィレンツェ」でも、主人公がこの門をくぐるところから物語が始まります。
現在は門の前が小さな公園となっており、車が入ることはできません。
1880年代の大々的な都市改造のとき、
左右の市壁が取り壊わされるのにあわせてこうした姿になったのでしょう。
サン・ガッロ門
門をくぐった一行はサン・ガッロ通りを走り抜け、
アルノ川沿いにあるホテルで旅装をときます。
このとき泊まったホテルは今も営業中。
ただし、当時は「デッラクィラ」だったホテル名が
「ゴルドーニ」と変わってはいますけれど。
240年前の春、3月、
14歳になっていたモーツァルトはどんな思いで
<花のフィレンツェ>へと入っていったのでしょうか。
フィレンツェに滞在したのは一週間。
その間、連日、ピッティ宮殿や有力者の邸宅に招かれては
演奏会を開いたといいます。
ピッティ宮
そして4月6日、一行はローマへと出発。
そのローマで残しているのがあの有名なエピソードです。
そう、システーナ礼拝堂で歌われる門外不出の秘曲だった合唱曲を、
聴いたときの記憶だけをもとにいとも簡単に楽譜にしてしまい、
まわりを驚愕させたのでした。